主な記憶
石岡市、石橋に住む母の姉、叔母を訪ねた。
途中の小山は父方の方面になる。
事業資金の説明をする、半分をお借りする。
後に返済は免除して頂いた。有難い。
石橋からバスで30分程で鬼怒大橋に着く。
そこから鬼怒川沿いの土手を40分程歩く。
キリギリス、ボケが迎えてくれる。
土手を歩くのが大好きでした。
途中、目安になる大きな木があり、もうすぐです。
水門が見え土手を下りると一面田んぼの先に家が見える。
叔母の家は思い出が幾つかある。
煙草の葉収穫、落花生の収穫、西瓜の見張り
夕方、風呂から眺望した土手の上を走る馬!
小鮒釣りし小川、草刈、大腸カタルで苦しんだ夜
夏休みに来ると鶏の卵を売って貯めたとお小遣い
いつまで寝ていても起こされなかった。
叔母が80歳過ぎて東京に、私の仕事を手伝ってくれた。 サンダーバード号玩具の整理作業。
忘れることができない。夜一合のお酒を美味そうに!
2年後に亡くなった。
お世話になった仕事を教えてくれた恩ある師!
仕事のお世話をしてくださった恩ある会社!
パートで働いてくださった恩ある近所の婦人!
ありがとう!
事業をやめた理由。
1、設備が不十分で火事、環境、等の安全
2、手形、結婚、社会性などの責任
3、年齢が若い、23歳、事業をしている方は40代
4、負債がない、設備に資金がない
5、母、塗装のシンナーの匂いが体に合わない
6、新しい道を考える
7、約3年の経験をした。
既製服縫製業の廃業後、近所で営業している彩色工場を訪ね。
知り合いで同業者が応援してくれる話しが進み。半年後独立することになる。
それからミシン4台、動力モータ、工場の解体を行う。
新設するコンプレッサーやスプレーなどの器材、工場の改造は大変。
資金は親戚を回り何とか出来た。
コンプレッサーは自転車で探し回った。 5万円
その他、5万円
1か月ほどして仕事は始まった。!
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小さな人形の顔のほっぺ用スプレーガン
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今なお持っている。
銀行のビニール貯金箱、トッポジージョ
玩具、キューピー人形など多種